理事長室

自由と平等

  • 2020.7.27
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 戦後日本では戦勝国アメリカの価値観が正義になり、その延長線で「自由」と「平等」は人類がたどり着いた普遍的な理念であると教えられてきました。かくいう私もあまり疑問を持つことなく、このことを信じてきました。ただ、今回のコロナ禍の中で、アメリカ人と日本人の「自由」「平等」の認識にはニュアンス以上の差があるように感じます。例えば、今回アメリカではコロナによる死者は貧困層に集中しました。居住環境や受けられる医療の差が要因と思われます。とても平等の標榜している国とは思えません。というとアメリカ人からは、「冗談じゃない、人種、性別、年齢に関係なく、アメリカンドリームは広がっている。アメリカほど平等の国はない。」と反論されそうです。総じていえば、アメリカ人は機会の平等であり、日本人は結果の平等を重視することから、このズレが生じるのだろうと思います。

 同様に、「自由」の認識にも国によってズレがあるように思います。自由が絶対的な理念だと思っていた欧米がコロナ禍に対して、「経済より命を選択する」と言って、我先に都市をロックダウンしたのは正直意外でした。日本では憲法の制約があり、国家が私権を制限することはできないという整理になりました。要請を無視したパチンコ店発表の是非や自粛警察の弊害などの情報が飛びかいましたが、罰則なしの緩い要請でも一億2千万人という国民のほとんどが従い、効果をあげたことが、国際的にはミラクルという評価を受けました。個人的に特別なことをしたという感覚は無いので、よくわかりませんが、自分が感染すること以上に、自分が他人にうつしてしまい加害者になることは避けたいという意識が自粛を徹底させたような気がします。あるいは、これが「恥の文化」の伝統かもしれないと思います。いずれにしても国情によって大きな差があり、自由の制限については、単純に割りきれる話ではなさそうです。
 アフターコロナの世界では米中対立が激化して、「自由と平等」を国の原理原則とする国か、しない国かで、陣営分けされ世界は二分される。といった観測も出てきました。ただ、この対決軸を鵜呑みにするのは危険のように感じます。世界史を見れば、超大国が2つあれば、必ずぶつかり、潰し合いが始まるものです。両者とも自己の正統性を主張しますが、結局のところは権力闘争です。猿山に二匹のボスは必要ない理屈です。国内世論に弱腰と思われることが自己の政権基盤を揺るがすという米中トップの危機感が相互に強気の発言を助長しています。どこかで潮目が変わると思いますが、やはりアメリカ大統領選挙でしょうか。11月には結果が出ます。