理事長室

甲殻類国家と魚類国家

  • 2020.12.7
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 アメリカ大統領選挙を見ていて、40年くらい前、評論家の渡辺昇一さんが20世紀の国家体制を比喩して、社会主義を甲殻類、自由主義を魚類に例えていたのを思い出しました。帝国主義の覇権を競う中で巨大狂暴化したのが、巨大ザリガニのヒットラーと巨大蟹のスターリン、そしてアメリカが巨大雷魚であり、この三者で池の覇権を争ったのが、第二次世界大戦だったという立て付けです。ザリガニに食われそうになった蟹は雷魚と共闘することでザリガニを葬り去りましたが、その後、両者で覇権を争い事になりました。戦後の東西冷戦です。結局、さらに鎧を厚く頑強にしようとした巨大蟹が、自らの重さに耐えかねて内部崩壊したのが1990年で、ソ連はロシアに衣替えをしましたが、甲殻類の性格は依然そのままです。
 最近になって中国蟹が巨大化してきました。アメリカ雷魚としては、ロシア蟹の牽制役として、中国蟹の巨大化を容認してきましたが、さらに縄張りを拡大したため、抑えようとして衝突したのが今回の米中対立です。

 甲殻類が外側に固い鎧を着るのは、外敵に対抗するための防御手段ですが、内側の脆弱性を外に見せない役割を担っています。このため、甲殻国家では国家情報は秘密化され、真実を知らされることは稀であり、自国民はいつも大本営発表のようなことばかり聞かされています。たぶん命がけの権力闘争が行われているようですが、庶民にはその内情は判りませんし、雲の上の話をしても仕方ないと諦観しています。国際世論の非難を受けても、香港の自由言論やデモを取り締まる中国の本音は、本土に自由思想が罹患するのを恐れているからだと思います。
 しかし、コロナ禍では国民の日常生活に国家がコントロールできる甲殻国家の方が有利のようです。池全体に蔓延したコロナ病に対して、魚類は息も絶え絶えですが、自らの体から生まれた病原菌にかかわらず、元気になった中国蟹は厚い甲羅を活用して、コロナ禍克服に成功。生産活動を再開させ、池の中の生物で一番元気です。
 一方、魚類は外皮と鱗で体を守っているものの、固い殻はありません。体を支えているのは骨格であり、しなやかに曲がる背骨が大事な神経を守っています。魚類国家において、この背骨に当たるのが、自由や人権のような理念です。アメリカはこれを守る限り、人種や民族は違っても、同一国家としてやっていけるのです。
 しかし今回の大統領選挙で白日の下になったのは、このシステムの限界でした。政界のスキャンダルは日常茶飯事で、様々なフェイクニュースも飛び交います。これを見極めて判断をするのは、最終的に国民一人一人の資質ということになります。今回のテレビ討論会では相手への罵り合いで史上最悪の討論会だったと揶揄されましたが、国民の多くは自分に応援する候補者が勝つように熱狂していただけで、より良い候補に選択する行動様式とは程遠いように感じました。
 今後、この両国の覇権争いが注目ですが、どちらの体制が強いのでしょうか。視点を変えて、「自・共、公」三助の領域で少し見てみたいと思います。
 まず公助の領域です。これは簡単に比較しづらい。座標軸が全く違うからです。国家が国民のためにあるのは今の常識ですが、歴史を見れば、むしろ国家が国民を搾取していることが常態でした。「この搾取状態を何とか改善したい」権力から身を守る発想から、絶対王権に楔を打ち、国民側に主権を奪取していったのが魚類国家の民主主義の生い立ちです。そもそもアメリカに至っては絶対王権自体が存在しない、皆の衆が集まって作った国です。つまり下からの発想で成立した国です。一方、甲殻国家中国は、王朝こそが変わるものの、皇帝が国民を支配する体制を続けてきました。この長い歴史の中で、より良い統治の仕方、為政者の心構えを体系化した儒教では、古代の堯舜のような君主を理想としてきました。つまり上からの発想で国を治めてきました。
 次は共助の領域です。アメリカ社会はキリスト教の慈愛の精神が底流にあります。尊敬される成功者はポンと社会貢献する組織に寄付します。伝統的なチャリティー、ボランティア、グラウドファンディングなど仕組みがこの土壌から生まれています。一方、中国も強力です。華僑の結束は最強でしょう。2500年の長い間、国家の庇護など当てにしないで自分たちの共同体で生き抜いてきた人々なのです。
 最後は自助の領域です。これは冷戦終結で自由主義社会の優位性を証明しました。結局、人は他人のためでなく、自分のために働くものなのです。ただ、今回の米中衝突では少し様相が違うようです。
 アメリカは結果の平等より機会の平等を重視してきた社会で、これが競争を生み、成長を持続させている大きな要因だと思います。しかし、今回の国民分断の原因にもなっています。他の魚類国家は自由主義の競争原則の下で、社会福祉的な政策を取り入れてバランスをとりましたが、バイデン民主党政権になれば、それに近い政策に転換せざるを得ないように思います。一方、中国の方も純粋に共産国ではありません。収益は共有のものではなく、個人のものとして認められ、現に仁義なき競争社会が存在しています。驚異的な経済成長はこの原則で支えられています。ただ、中国社会も多くの矛盾をはらんでいます。特に貧富の差は確実に広がっています。庶民の生活水準が上がっているため不満は顕在化していませんが、高度成長が止まり、不正の存在を認めない体制に腐敗が蔓延した時に、国家への信頼が一挙に崩れる可能性があると思います。
 両国の為政者が理性を失わなければ、軍事衝突で白黒が着くことはなく長期化するでしょう。結局、米中の対立は、本音と建前の乖離に収拾がつかなくなった方の社会が自滅するという終わり方をするのではないかと推測します。
 さて、日本です。アメリカが相対的に力を落としていく中で、どこまで日米同盟を基軸とした体制に留まるか。間に挟まれて、身を処し方に悩むことになりそうです。ただ、確実に効果的な処方箋は、日本みずからの自助力を磨くことです。