理事長室

田舎者の代表は東北人と九州人

  • 2021.1.18
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 現在、東京から見て、田舎者の代表地域は九州と東北であるのは、ほぼ間違いないと思います。この構造は長く歴史をさかのぼり、3千年以上古墳時代以前から存在していました。原住民であった縄文人を押し込むような形で弥生人が勢力を拡大したのですが、押し込まれた地域が南九州であり、東国だったのです。そこには熊襲、蝦夷と呼ばれる人々が暮らしていました。経済軍事力で支配権を握った弥生人にとって、縄文人は明らかに異質な存在であり、言葉を変えれば、田舎者でした。
 この弥生人の末裔たちが大和政権を樹立すると、縄文人の末裔の人々は討伐され、日本国家の輪郭が完成します。大和政権の都は近畿各地を流浪しますが、最終的に京都に定着します。そして平安時代から戦国時代まで700年間は京都との距離が文化度を見る尺度となりした。この時代は京都から遠いほど田舎者ということになります。
 菅原道真は大宰府の長官になりましたが、田舎の九州ですから、つまり左遷でした。今の感覚から言えば怨霊になって祟られるほどの仕打ちだとは思いませんが、道真を神様にして祟りを逃れようとしたのが天神様の始まりです。平安時代の地方出身の武士は公家から虫けら扱いされていました。とどのつまりは田舎者だからです。のちに平清盛の時に軍事力で台頭しますが、今見たら自滅するよう形で急速に公家化してしまったのは、ひたすら田舎者から脱却したかったからです。一方、平家を倒した源頼朝の方も同じような背景がありました。一介の流刑人である頼朝が東国武士の頭になりえたのは、田舎者しかいない東国武士の中で、彼だけが田舎者ではなかったからです。彼の息子の実朝が公家風を好んだことも、当時とすればやむを得ない選択のようにも感じます。
 徳川家康が江戸に幕府を開き、田舎ものの定義が少し変わってきます。幕府を開いた場所が田舎者の中心地の関東の真ん中だったからです。江戸時代260年の間に、京都の絶対優位から少しずつ江戸からの距離で文化度を見る尺度が入ってきたのです。
 これに大きな影響を及ぼしたのは参勤交代だったと思います。大名の家族は江戸住まいですから、殿様はほとんど「江戸っ子」ということになります。また、定期的に江戸にやってくる家来たちはその文化の運び人となります。江戸ではやっている芝居、食べ物、品物が地方では別格の扱いを受け、地方人にとって江戸はあこがれの場所に変貌していきます。つまり文化の拠点が2つになったのです。これと共に金沢、福岡、仙台などの有力大名の拠点城下町の文化度も向上していきます。
 明治の世になり、江戸が東京に変わり、政治、経済、文化の中心都市として東京は輝きを増し、一極集中化が進みます。そして、豊かな感受性を持ち、強い使命感を帯びた多くの若者が「故郷に錦を飾る」を胸に続々と上京してきます。その後の文学や歌謡曲でも、このパターンは鉄板です。古くは夏目漱石の「三四郎」では、主人公の若者は熊本から上京した学生です。私の世代のベストセラーだと五木寛之の「青春の門」も主人公は筑豊出身です。故郷に望郷の念があるものの、羨望の街である東京に向かいます。そして幼馴染の彼女にはない魅力の都会の女性に恋します。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」の作詞そのままに、東に向かう列車に乗った若者が、都会の染まっていく姿は、田舎者からの卒業の過程でもありました。
 東京と地方の関係性はどこの地域でも言えることで、どうして九州と東北が特別なのだと言われるかもしれません。確かにその通りです。ただ、創作の世界で、どこに設定してもいいのに、九州と東北に設定する作品が多くあるのはどうしてでしょうか。つまり日本人の深層心理の中にあったものが、何度も繰り返す過程な中で、田舎者という一種のブランドとして定型化したのです。血液型でO型の人間が、すべておおざっぱな性格をしているわけではなりませんが、繰り返し、「やっぱりO型ですね」と言われ続けると、「俺って、そんな性格なんだ」と思い込むようなるのに近い心理作用かもしれません。
 そして、高度成長期にテレビが登場して決定的になりました。毎日、テレビを見ない日はありません。多くの番組の中で、繰り返しの鉄板パターンで九州と東北は田舎であると認識が、私たちの頭の中にインプットされてしまったわけです。とりわけ影響が大きかったのが、子供が見るアニメ漫画の世界だと思います。次回はその話を少ししようと思います。