理事長室

桜の季節

  • 2021.3.22
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 古来から日本人は桜が好きです。桜自体は、あまり実用的な木とは思えません。幹は曲がりくねって建材になりませんし、一般の桜は果実も食べられません。花もあっと言う間に散っていきます。それでも多くの人が桜の苗を植えてきました。「桜を1万本植えて郷土の名所にしよう」誰かが言い出すと、「それはいい」と賛同者が現れて、競争のように桜を植え日本各地に桜の名所が出来ました。熊本にも桜の名所を上げたら両手では足りないくらいたくさんあります。庭先に、川の堤防筋に、そして街路樹に、桜は日本のどこでも拝める花になっています。木の種類は染井吉野という品種が8割以上を占めています。突然変異ではなく、観賞用の花として江戸時代に品種改良されたものです。なぜ品種改良までして見て美しい桜を求めたのでしょうか。

 平安時代から桜を愛でる風習は貴族社会にありまして、多くの和歌が残っています。ただ、庶民にまで広がるのは少し時代が下ります。有名なところでは、豊臣秀吉が醍醐寺に桜を植えさせ、大名などの女房衆1300人を招待して大花見大会をやりました。陽気な秀吉がこの花見を企画したのは判るような気がします。江戸時代になると徳川吉宗が江戸の各所に庶民のために桜を植えさせました。現在の東京の桜の名所は吉宗由来のものが結構残っています。吉宗と言えば、享保の改革をやった将軍で質素倹約を幕政の基本としましたので、やや意外な感じです。贅沢はきつく戒めましたが、桜の花が咲いているのはわずかの期間です。年に一度くらいは羽目を外したいという庶民の心理を判っていたのでしょう。ここで重要なのは桜見が「ただ」ということです。
 俗に「サクラ」という隠語で疑客のことを意味する言葉があります。平たく言うと「やらせ」です。由来は諸説ありますが、歌舞伎の掛け声をいう客を無料で観客席に入れていたことが語源だという説が有力だそうです。そういえば、桜の花の下でビニールシートを引いてやる宴会は車座で上下関係をあまり意識しません。老若男女、貴賤を問わず、桜を愛でるのは平等なのです。昨年、問題になった安倍さんの「桜の見る会」は、誰でもオープン参加という花見の精神に反していたのかもしれません。特定の人を呼ぶから、どういう選定をしたのか、サクラがいたのでは、と問題になります。
 若いミュージシャンが競って桜をモチーフにした曲を作っています。そしてなぜか美しいメロディーの曲が多いような気がします。春の季節は、哀惜の別れや新しい出会いの節目です。その背景に桜の花が咲いています。そんな経験を積み重ねて、桜が日本人にとって特別な花になり、記念樹のように桜の木を植えるのだと思います。
 さて、今年も昨年に引き続きコロナの影響で入場が禁止になる花見の名所も多いと思います。飲食は感染リスクを増加するので、禁止は当然としても、野外でマスクをしていれば、感染リスクがほぼないことが判ってきたのですから、管理をする自治体は花を見ながら散策することまで禁止して欲しくないと思います。
 日本人の鬱積は溜まっています。ずっと辛抱の生活をしているのですから、少しはガス抜きをしないと。今、一番求めているささやかな開放感だと思います。熊本では地震から5年です。熊本城の桜、阿蘇一心行の桜も見てみたいものです。そしてコロナ禍の中でも無事健康でいられること、震災で大変だったけど桜の花を見る余裕ができたこと、すべてに感謝の気持ちで、散る桜を見れば、例年以上に美しい桜になると思います。