理事長室

偉大なる田舎者を目指して

  • 2021.2.15
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 なぜ、九州、東北が田舎者として生き残ったのか。という問いに対して、裏返しに答えると、都会に染まらなかったということです。底の浅い田舎者なら簡単に同化します。しかし縄文人と弥生人の共存時代から3000年以上の歴史の中で、守り続けてきたものです。
 司馬遼太郎の随筆の中に「悠久の歴史と比べれば、人の一生などは塵や埃のようなものだが、その中にキラキラと光る「恒心」がある。これを紡ぎ取りたいと思い、私は物書きになった」という文章があります。この「恒心」は特別の英傑や才人だけが持っているものではなく、市井の人々の中にもあります。それが鮮明に現れたのが、東日本大震災の時でした。絶望的な状況が続く中、東北の皆さんは整然と社会規律を守り、助け合って命を繋いでいました。その姿こそが恒心であり、東北の田舎者の本性というべき特質です。
(雪国が作った辛抱と寛容の文化)
 日本人の多くが、幼馴染が傷ついてしまったような切実な思いを抱き、東北にエールを送りました。いつしか東北は日本人共通の故郷になっていました。
 熊本地震の時にも同様なことが起こりました。たくさんの支援を全国からいただきました。有難い話です。震災から半年くらいの頃、サントリーの缶コーヒーのCMに「くまモン」に出てもらい熊本を応援したいという申し出がありました。「頑張って復興しているよ」というメッセージを発する最高の場所でした。くまモンが熊本城の天井裏に忍んでいたのだが、ドジしてばれそうになるというストーリーでしたが、覚えている方もいると思います。ただ、製作スタッフの中からは、被災した熊本城をネタにおふざけをやって、熊本の人が不快に思わないだろうか、という懸念から県庁に何度も問い合わせがあったそうです。
 「このまま、くたばってたまるか」と思っていた熊本人にとって、みじめに施しを受けることは嫌でしょうが、ドジをやって笑われることは苦ではありません。これは熊本人の恒心だと思いました。
(仲間を思う一途さと男気)

 田舎者の特徴である頑迷さ、情報収集力の疎さは、時には悲劇を生みます。戊辰戦争がその典型でしょう。戦争が勃発した時、徳川恩顧の譜代親藩大名は数多いましたが、新政府に抗うとした勢力はほとんど皆無でした。その中で、東北人だけは義を重んじ奥羽越列藩同盟を結び、その盟主たる会津藩の鶴ヶ城はボロボロにされてしまいました。10年後、攻め手の大将だった西郷隆盛が鹿児島から武士の誇りを取り戻すため兵を起こしました。その際、熊本城の天守は焼失し、田原坂では多くの若者が命を落としました。もし、わが身を大切に思うなら、戦うことは回避できたはずです。しかし結局、義と誇りをかけて、命がけで戦ったのは田舎者だけでした。
 西郷軍と戦った政府高官の中には、煙たい人はいたでしょうが、西郷隆盛が嫌いな人は皆無でした。逆賊の首魁になりましたが、何とか名誉回復できないものか。と皆が思っていました。恩赦が出され、死後21年目に上野公園で西郷の銅像の除幕式がありました。まず西郷が大好きだった明治天皇が寄付をし、全国から25000人を超える有志が寄付をしたのです。ただ、戦いの印象は避けたかったのでしょう。浴衣姿で犬を連れているという姿になりました。この西郷像が田舎者の原型になったというなら、それはそれで意味深い話です。