理事長室

予想していた2020年の日本

  • 2020.12.28
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 1990年代にバブルが崩壊し、日本経済は「失われた20年」が始まります。ただ、こんな長いトンネルが待っていると想像できた日本人は、当時まずいなかったと思います。私も日本経済の将来には楽観的でした。経済の影と言われた公害問題はほぼ克服し、2度のオイルショックは省エネ技術で乗り越え、むしろ生産性を向上させました。「政治は三流だが、官僚や経営者の一流」「今後の様々な危機が日本に訪れるだろうが、勤勉で学習効果の高い日本人は、それを乗り越えるに違いない。」と漠然と信じていました。
 懸念していることもありました。一番は子供たちです。当時、小さなモンスターが学級崩壊を起こし、社会問題化していました。原因は親のしつけです。頑固おやじは消えました。団塊の世代の子供達が親になり、その子供たちが若者なる、ちょうど2020年くらいが一番危ない時期ではないか。甘やかされて育った親からどのような子供たちが育つのだろうか。「会社で叱られた社員の親から子供がいじめられたとクレームをよこす。」「社員教育で、まず遅刻がなぜいけないか、から教える必要がある。」社会全体がとんでもないモラルハザードを引き起こしているのではないか。そんな想定です。
 30年後の日本経済の凋落ぶりは目を覆うばかりです。GNPの伸びも、国際競争力も、大学生の学力も先進国の中で低位に甘んじています。かつて世界ランキングで企業も大学も上位を独占していました。今では、トヨタと東大が二桁台で登場するくらいです。
 80年代、日本のエレクトロニクス産業は世界を牽引し電子立国日本と呼ばれていました。付加価値の高い家電製品や車を量産し、世界中に売りまくる日本のビジネスモデルは絶好調で、貿易収支は大幅黒字、大手企業の業績も史上最高を更新していました。ジャパン・アズ・ナンバーワンという本がベストセラーになりました。驚異の経済高度成長の要因を日本的経営と学習能力の高い国民性にあるとし、日本や日本人を礼賛した内容は、読んで心地よく、我々を天狗にさせるのに十分でした。
 ただ、今思えば凋落は必然だったと思います。奇跡と言われた日本の経済成長は一部の科学者たちの探求心と勤勉な労働者という限定的な優位性で実現したもので、決して日本経済を牛耳っていた人々やシステムが優れていたわけではありませんでした。
 経営者は一流ではありませんでした。右肩上がりの経済では、強気で攻めの経営をし、勤勉な従業員を雇い、取引先との義理を大切にすれば、誰でもそれなりに成功します。経営環境が変わっても、中小企業は多くはかつての成功体験から脱却できず停滞しました。大企業のサラリーマン経営者はさすがにIQは高いのですが、工場長クラスで優秀だった人材が抜擢されて経営者になっているので、長期的な大局観がありません。結局、利潤を上げても、有効な投資をせずに内部留保に回しチャンスを見逃し、少才の利いた経営者は財テクに走りました。ものづくり企業すら、土地を買い漁り、不労所得を得ようとしました。そんな企業が世界の人々が感激するような新商品やサービスを創造できるわけがありません。
 銀行は目利き力を失いました。土地を担保に取れたら、それを上限にジャンジャン貸せばいいのですから簡単です。石橋をたたいても渡らない人が、減点されず出世する不思議な社会になりました。
 官僚も一流ではありませんでした。欧米の先進的なモデルがあれば、これを取り入れる能力は優秀ですが、日本が一番になってしまうと真似をするものが見当たりません。そうなると自分で創造できず、縄張りを広げることに熱心になりました。
 日本人の研究者が時々ノーベル賞を受賞しています。日本もまんざらではないのではないかと思いたいのですが、今受賞している対象研究は1990年代以前のもの、もしくは国内ではなくアメリカで研究したものが多くを占めているようです。そして、科学技術への予算の少なさやポスドク研究者の身分の不安定さに警鐘を鳴らされています。30年後にノーベル賞を獲る研究者は激減しているのではないかと思います。
 政治家は以前から三流と言われていましたが、実は四流でした。二大政党になれば、選挙民が選択肢を持つことになり政治が活性化する。という話でしたが、派閥抗争に明け暮れた自民党長期政権が倒れてかえってひどいことになりました。たまたま、その不安定な時に東日本大震災が起こり、天災のような人災被害まで抱え込むことになりました。民主党政権は官僚を悪者にすることで世論の支持を受けるような体質があります。そして、官僚より自分たちの方が優れているという錯覚の元、見栄えの良いことを放言しているうちに、結局何もできず、国民の支持を失いました。
 かなり一方的に酷評してしまいましたが、後から批判することは容易なことです。私自身も危機感のなく、何とかなるだろうと思っていた一人でした。
 一方、社会モラルの方は予想と違い、健全さを維持しています。特に感じたのが東日本大震災の時でした。家を流され、肉親を亡くして茫然となる中、漆黒の闇の中、少ない食料を分け合い、励まし合いながら救援を待った人。救援に駆け付けた自衛隊員に丁寧にお礼をいうお年寄り。パニックも略奪も起こらず、淡々と救援物資配給の列を作る人々。そのような映像を見て、世界の多くの人々が驚嘆しました。あるいは純朴で律儀な東北人気質がなせることかとも思いましたが、熊本地震の際には熊本でも同じような光景を見ることが出来ました。どんな時でも変わらない「恒心」を、当然のように共有できる社会に暮らせるありがたさは、お金に換算ができない価値だと思います。
 傲慢で鼻もちならなかった80年代の日本人より数段、まともな国民になっているのではないかと思います。少なくとも私は今の日本人の方が好きです。世界の日本への評価が少しずつ変わってきているように思います。クールジャパンという言葉が日本の新しい価値を物語っています。「鬼滅の刃」というアニメ映画の人気が社会現象になっているそうで、海外にも飛び火しました。絵質の良さと優しいストーリーが支持されている要因のようですが、これもクールジャパンの一つと言えると思います。たかだか漫画と言わないでください。潤沢な資金も持ちながら、投機に明け暮れて何の価値も生まなかった30年前と比較して、数段上等な日本になっていると思いませんか。今の日本なら、この「恒心」でコロナからの克服もやり抜けると思います。