理事長室

お地蔵さんが似合う街

  • 2020.8.24
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 最近、人吉に行く機会が増えました。今回の球磨川の氾濫で中心街の2/3が水没した格好で、1か月以上経過してもまだ泥水の残差がここかしこに残っています。ただ、人吉城のある左岸側の路地を歩いていると大きな災害が起こったとは思えないくらいのどかな風景です。路地にお地蔵さんを見つけました。最近見かけなくなりましたが、かつては全国どこにでもあった懐かしい風景です。

 お地蔵さんのある風景も、お地蔵さんを寄進し、いつも綺麗に掃除して、お供え物をしたり、何かと世話をしていた人がいたから存在しています。お地蔵さんの場合、その役目をしていたのは、市井の女性たちでした。人口ピラミットはご存じだと思います。年齢別に人口数を積み上げていくと、ちょうどピラミットのような形状になる国がほとんどでした。かつて日本もそうでしたが、現在でも途上国はピラミット形をしています。このピラミット構造を労働者が豊富で経済発展の期待できる可能性が高いことを示す座標としてポジティブな見方をする人もいます。ただ、よく考えれば、多くの子供たちが大人になるまでに病気や事故で死んでおり、平均寿命が短い裏返しでもあります。

 お地蔵さんの世話をしていた女性の多くは、自分の子供を亡くすというつらいを思い出を持っていて、我が子も面影を慕うように冥福を祈っていたのだと思います。親にとって、子供を亡くすほどつらいことはありません。ただ、これは日常的な出来事でした。100年前にスペイン風邪が流行しました。多くの母親が、おろおろとなすすべもなく我が子を亡くしました。このような状況から脱したのは、私の親の世代ぐらいからでしょうか。私たち世代は幼い頃、兄弟を亡くすという経験をしていません。その理由は、公衆衛生の発達、医学薬学の進歩に他なりません。
 このところ熊本は災難続きです。4年前に熊本地震が起こり、今回はコロナ禍の中での豪雨被害でした。まさに踏んだり蹴ったり状態です。将来に希望が持てず、毎日暗い気持ちでお過ごしの人も多いかと思います。しかしながら、有史以来、一番幸せな時代に暮らしているのは現代の日本人だと。私は今でも思っています。私達は「飢え」を知りません。「戦争」も知りません。当たり前の日常を感謝する気持ちすら忘れているほどに幸せなのです。
 災害でつらい立場にいる人々が笑顔を取り戻し、地域が復興するには三つの助けが必要です。まず自ら立ち上がろうという強い気持ち。これが自助です、そして、この炎天下の中、災害ボランティアをしている人たちがいます。クラウドファンディングの企画も広がっています。全国から暖かい支援を送ってくれている共助です。最後に公の支援である公助です。マスコミは行政のダメな面ばかり強調して報道しますが、大きな災害が起こる度に、公の支援は確実に充実してきました。
 この三つの助けがあれば、復活は容易です。決してあきらめることなく前を向きましょう。人吉の相良700年の歴史はだてではありません。幾多の試練を乗り越えてきました。今回の災難も、きっと乗り切ると思います。

 当財団では、財団内にある「よろず支援拠点」を拡充して、アドバイザーを増員します。当初はコロナ対応で準備していた枠組みですが、これを今回の災害に手当てするようにしました。8月末から毎日、2~3人体制で人吉への出張経営相談を開始。さらに他の被災地に広げていきます。
 今回の経済復興支援では、グループ補助金を改装した「なりわい補助金」の活用が大きなポイントだと思います。ただ、公金を使って私有財産を蓄えることになるので、ルールに従った公正明大な手続きが必須ですし、単に現状復帰ではなく、10年先に経営を考えた事業計画が重要です。いわば公助に自助と共助を連動させ、三助を一体化させる動きです。当然、時間もかかりますし、事業者に寄り添った対応が大切になります。現場は大変ですが、やりがいのある仕事になると思います。
 小京都と言われた人吉の街並みの復活は、そこに暮らす事業者の営みの結晶であり、その土地の風景はその地域の時代や生業を映し出す鏡でもあります。お地蔵さんの似合うようなやさしい街に再生することを祈らずにはいられません。