理事長室

「一生懸命に潜む危険性」

  • 2020.6.15
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 日本人の勤勉、倹約、誠実さなどの美徳は「一生懸命」という行動パターンで増幅されてきたことを述べてきました。是非、将来世代に引き継いでもらいたい日本の大切な遺産です。しかし長所の陰には、短所も必ず存在するものです。日本人は一生懸命な姿に共鳴するあまり、一生懸命でありさえすれば、何でも許される雰囲気を作ってしまいがちです。この甘い体質が不幸な事件を後押しすることがあります。
 いい例が幕末の尊王攘夷運動でしょう。当時は列強の外圧が増している時期であり、安閑としていれば、アジアの多くの地域と同じように植民地になっていたでしょう。「これまでのやり方では通用しない。変革すべきだ。そして行動を起こすのは今しかない。」そこまではその通りです。しかし、認識論も方法論も完全に間違っていました。尊王攘夷論を簡単に言えば、①日本の文化が一番優れていて、その伝統を外国人がやって来て破ろうとしている。②天皇がトップだった本来の姿に戻して、侵略者である外国人を排除すべき。③現政権である幕府がそれを実行しないのであれば、武力を行使して幕府を倒してもいい。
 さすがに坂本竜馬、桂小五郎や高杉晋作などの一流どころは単純に同調していませんが、長州藩、土佐藩の尊王攘夷派の主流派はこの考えに凝り固まりました。そして反対派を暗殺し、武力行使を決行するのです。最終的に明治政府は尊王攘夷を起点としているので、全面否定できないのはわかりますが、開国したことを理由に暗殺された井伊直弼側から見たら、理不尽この上ないことでしょう。
 結局、「若者が純粋に国の将来を想い、一生懸命、命を懸けてやったことだ。多少の認識に誤りがあったとしても、情報が無かったのだから、やむを得ない。この動きのおかげで明治維新が誕生したのだから、評価すべきだ。」というような感じで総括された気がします。
 そして、そのツケが、226事件を引き起こします。昭和維新を標榜して暴発した青年将校の行動パターンは尊王攘夷運動のコピーです。鎮圧され、首謀者は死刑になりましたが、ここでも世論の反応は甘いものでした。「若者が純粋に国の将来を想い、一生懸命、命を懸けてやったことだ。娘を身売りしないと生きていけないような世の中が悪い。貧しい家庭出身の青年将校は見て見ぬふりはできなかったのだろう。本当にかわいそうだ。」その後の政治家は軍部の利益に反することをすることは命がけになりました。いつ君側の奸として、殺られるかわかりません。こうした雰囲気が軍部の台頭を許すことになりました。
 戦後の安保闘争も同様の構図があると思います。運動の目的は日米安保阻止です。スタンスによって評価に温度差はあるでしょうが、「日米安保が現在の日本の立ち位置を確立し、その後の経済繁栄の土台になったこと」を否定する人は殆どいないと思います。ただ、同様に、安保闘争を「国に対してはっきりNOと言って、若者が行動した輝かしい出来事」のようにイメージしている人も多いと思います。
 日本では、職場で一生懸命やったが失敗した部下を一方的に叱責すれば、間違いなく人望はなくなります。要因を分析した上で次回に期待するのが妥当のようです。ただ、経営幹部が「一生懸命にやった結果だから、仕方がない」では困ります。まして経営者では、なおさらです。企業を倒産させた経営者はどのように説明しても、やはりだめな経営者です。
 経済面でも短所があります。一番の課題はこの特性が生産性の向上への足枷になっていることです。人口減少社会になって生産性の向上が急務ですが、日本の生産性は依然低いままです。ものづくりの現場では品質過剰でガラパゴス化が止まりません。私にとってはスマホのサービスの95%は無用の長物です。サービス業は、過剰な要求に過敏に対応してしまい、クレイマーのモンスター化は年々ひどくなっています。深刻なのはコスト意識が希薄な官庁かもしれません。公表事業は細部までこだわり、単価が跳ね上がります。世間で何か不都合が起こると、マスコミは行政を攻めだします。その度に規定が新たに加えられ、規制はどんどん強くなっていきます。規制緩和が言われて久しくですが、トータルで見れば、まだ規制強化の方に動いているように思えます。これらの多くの問題は一生懸命にどこまでやればいいかという基準がなく、コントロールされていないことに起因していると思います。
 IoTが生産性を上げる大きな武器と言われていますが、県内の現場で導入の動きは鈍いようです。その原因の一つは、一生懸命やっている職人技を否定している側面があるからだと思います。両者のバランスをとるのは難しいことですが、まず、一生懸命の価値観から抜け出して、プロダクトアウトの商品開発を止め、作業工程を「見える化」して、適正価格、適正サービスを再構築することではないかと考えます。