理事長室

「いつから、日本人は一生懸命がすきなのか」

  • 2020.6.8
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 一生懸命の四文字熟語の起源は「一所懸命」で鎌倉武士が自分領地の確保に命を張ったことが由来とも言われていますが、一所懸命を推奨し、日本人全体に大きく広げたのは、同じ鎌倉時代の親鸞だと思います。親鸞は、現代の最大宗派である浄土真宗の開祖です。有名なのは悪人正機説です。「慈悲深い阿弥陀如来様は弱い立場の悪人(殺生をしなければ暮らしていけない漁師などの庶民たち)なればこそ救済するはずだ。」「難しい修行などしなくても、ただ一生懸命、南無阿弥陀仏と念じればよい」としました。2500年前、釈迦が開いた仏教からは大きく逸脱しているように思えますが、この教義が多くの庶民に受け入れられ、精神的な安らぎを与え続けてきた事実は否定できません。信者たちは世代を超えて、ひたすら一生懸命に祈り続けました。
 時代が少し下ります。江戸初期の肥後天草の代官である鈴木重成は善政で有名で、その遺徳を惜しんで作られた鈴木神社はまだ天草市に現存しています。重成が目指したのは、島原の乱で疲弊した地域の復興です。島原の乱では庶民が原城に立てこもり、全員虐殺されていますが、島原地域だけでなく、天草からも多くのキリシタンが有明海を渡りました。まず、心の問題を何とかしなければ。そこで、重成は兄で曹洞宗の僧である鈴木正三を天草に招聘します。
 教科書には出てこない名前ですから、あまり知られていません。私が初めてこの名前を知ったのは、山本七平氏の本です。マックスウエーバーは、資本主義を支えている精神的な背景はプロテスタンだとその関連性を指摘していますが、日本の資本主義の成立を下支えする類似の思想が江戸時代に萌芽していたというのが山本氏の見解であり、その端緒が鈴木正三だというのです。熊本にそのような偉人がいたというのも驚きでしたが、その慧眼にも戦慄を覚えたことを記憶しています。
 正三が書いた「四民日用」には四民(士農工商)が、どのようにしたら成仏できるか問答が期されています。「仏行にはげめ」と言われても、そんな暇はないという農民に対して「農業に一生懸命に励めばよい。即仏行なり。」と明快に答えています。また、商売が仏行に反しているわけではなく、一筋に正直の道を学び、「先ず得利の益(ます)べき心づかひを修行すべし」として、「その結果としての利潤は善である」という思想がすでに生まれています。
 そして江戸中期には石田梅岩が出てきます。大阪の商人ですが、商売で成功した人ではありません。丁稚から奉公に入り、倒産した奉公先に献身的に勤め上げるという律儀な人生を送った苦労人です。45歳という当時で言えば、隠居の年になってから、私塾を開き、勤勉と倹約の考えを説き始めました。これが大阪商人の心を捉えます。
 どんなに大金持ちになっても、士農商工の身分には変わりません。一生懸命に勤勉と倹約を行えば、人格者として尊敬を受けるのです。これは、心理学でのマズローの要求段階でいうと上から二番目の名誉欲求を満たすことになります。ただ、すでに梅岩はさらに最上位である自己実現欲求の境地に入っています。別に名声が欲しいわけではありません。勤勉と倹約すること行為そのものが大切なのです。「勤勉に働くことは人生修行」この思想は石門心学として、世の中に広まり、日本の労働観の背骨となりました。
 親鸞、鈴木正三、石田梅岩という思想家の系譜の中で「一生懸命」という言葉は特別の色彩を帯びています。外国人に論理的には説明しづらいのですが、日本人なら理解できる感覚です。たぶん知識として教えられたわけではなく、親の一生懸命の背中を見て体得するからでしょう。だから簡単には消えません。明治維新、終戦、と価値観が180度変わった世の中にあっても、「一生懸命」は否定されていません。むしろ危機の時の方が増幅されると思います。4年前の熊本地震の時。思いませんでしたか。
「一生懸命やれば、笑う日がきっと来る。頑張ろう。」